人生観

人は死ぬときに何を後悔するのか

 今は気にならないけどが、後になって後悔したという経験はありませんか?私もずいぶん「あの時、こうしておけばよかった。」「なんで自分はやらなかったのか」と後悔することがありました。何度も後悔と反省を繰り返しながら、今は自分の望む人生を歩めるようにな挑戦をしているところです。

多くの失敗と後悔を経験するなかで、こう感じることがありました。

“後悔したまま、最後に死を迎えることはもっと辛いな”と。

今回は、緩和医療医 大津秀一さんの著書「死ぬときに後悔すること25」を読んでみました。

自分が「後悔しないためにやろう!」と決意したことをまとめていこうと思います。

後悔しないようにやること
  • 健康を大切にする
  • 自己を見つめ、行動に移す
  • 生活の質を高め、人生を楽しむ
  • 思いや気持ちを伝える
  • 生と死について考える

健康を大切にする

第一章 健康・医療編には、次の後悔について書かれています。

・健康を大切にしなかったこと

死期が迫ると、その病気になった原因を探してしまうもの。

食事に運動、ストレスを溜めない生き方をするなど、普段からの健康を意識して生活することが大事。

・たばこをやめなかったこと

たばこも、お金もかかり、健康にも悪い。良いことがないですね。肺がんの治療は、苦しいとのこと。

★対策

〇毎年、検診を受ける

健康診断を受けていましたが、「人間ドック」や「がん検査」などは行っていませんでした。これから、定期的に受けていこうと思った。

〇たばこを止める

20歳から8年間タバコを吸っていたが、登山を始めてタバコを止められた。

タバコを持たずに3、4日間、山奥で過ごしたらタバコを我慢できるようになった。

喫煙所に近づかないようにし、タバコを吸いに行く友人についていくこともやめるなど、

吸いたくならない環境をつくるようにしよう。

〇バランスのよい食事を摂る

外食を控え、自炊をするようになってから体調が良くなった。炭水化物、脂質、タンパク質のバランスを考え、野菜を多く食べるようにする。

〇運動をする

ジョギングや筋トレ、スポーツをする。

ジムに通って、体を鍛える。

仕事の帰りや買い物の際は、歩くようにする。

また、エレベーターやエスカレーターを使わず、階段を上り下りするだけでも、よい運動になる。

自己を見つめ、行動に移す

第二章 心理編 に書かれていた後悔がこちら

・自分のやりたいことをやらなかったこと

「人生は、あっという間だった」と、死を目の前にした多くの患者さんが言う。

「今は無理」

「失敗するかもしれない」

「ある程度、知識や経験を身に付けてからやろう。」

 言い訳を見つけて、自分がやりたいことを後回しにしていると人生を終わってしまう。

 

「いつかやろう」は「バカヤロウ」なのだ。

・感情に振り回されたこと

 人は感情の生き物だ。

 大人になっても、感情のコントロールは難しい。

 感情の不制御が、家庭、会社の人間関係に支障をきたしていく。

 死を前にして、失ってきたものの大きさを知り、人は苦しむのだ。

 

本書に出てくる患者さんの言葉

「今考えると、なんであんなに泣いたり、あんなに怒ったりしたのかわかりません」

「~省略~ だから誰かを恨んだりうらやんだりするのは、ばかばかしいことだとはっき  りわかりました。あるいは誰かをねたんで足を引っ張ったりすることも」

筆者は話す

怒っていても、泣いていても、笑っていても、変わらず一生は過ぎるものである。だったら笑っていたほうが得ではないか。

・他人に優しくしなかったこと

なんであの人に優しい声をかけられなかったのか、と後悔する時がある。

人は、自分のことだけを考えて他者を利用し、蹴落として傷つけ、不幸してしまう。

死期が近づき、人生を振り返る。

様々な人との関係があって、今までの自分があったことに気付く。

優しい人間になりたいと思ったときに過去の自分の行いが蘇り、

人は後悔する。

筆者の言葉

人をいじめることがあるのなら、心を入れ替えた方が良い。優しさが足りないのならば、優しさを意識したほうが良い。それらは死が迫ったときの、後悔の一因となる。他を蹴落とし、どんな勝負に勝ってきたとしても、同じように努力しても決して勝利できないのが死である。

単なる浅い気遣いではなく、他人に心から優しくしてきた人間は、死期が迫っても自分に心から優しくできるだろう。だから真に優しい人は、死を前にして後悔が少ないのである。

★対策

〇やりたいこと実践する

 自分が何をやりたいのか、いつまでに実践できるのか、紙に書きだして自分の気持ちや考えをまとめよう。見える化することで、忘れずに常に意識することができます。

勇気を出して、一歩を踏み出そう!

失敗しても大丈夫。失敗は成功に必要な栄養素だ。

やった後悔より、やらなかった後悔の方が重い(辛い)

死を目の前にしたときに、後悔しないようにしよう。

〇自分の感情をコントロールし、他者を思いやる

 自分の感情をコントロールできるようになろう。

 “怒り”は行動へのエネルギーにはなるが、間違えると破壊を生む。

 感情的になったら、深呼吸をしたり、その場から離れたりするなどして

 気持ちの落ち着かせ方を学ぼう。

 “悲しみ”だけに心を囚われないようにしよう。

 地面ばかりを見てはだめだ。

 他者と自分を比較することはやめる。

 自分だけが不幸と考えることをやめる。

 幸せになれると信じること。

自分のことだけを考え、他者を傷つけないようにしよう。

人は死ぬときに、「他者に行ったことや、言った言葉が走馬灯のように蘇る」

と聞いたことがある。

自身の行った行為や、発した言葉の総決算がなされる。

死ぬときに

今まで出会った人の笑顔や安心した表情、幸せそうな姿に包まれるか。

怒りや悲しみ、恨みの表情に囲まれるか。

どちらになるかは、自分の生き方が決める。

生活の質を高め、人生を楽しむ

第三章 社会・生活編 にあった後悔

・仕事ばかりで、趣味に時間を割かなかった

終末期になり、仕事ばかりの人生だったことを後悔する患者さんの話があった。

家庭を犠牲にして、仕事を生きがいにしていた。

仕事ができなくなると、「生きがい」を失ってしまう。

前に何かで読んだ。

「仕事を“やりがい”にしてはいいが“生きがい”にしてはいけない。仕事がなくなったら、

 生きる目的がなる」と。

・行きたい場所に旅行しなかった

病気、終末期になってからの旅行は非情に難しい。

体力、体調のこともあるが、制度上の煩雑な手続きが必要になってしまう。

★対策

〇自分が好きなこと、楽しい、幸せと感じられることはやる

筆者の言葉

何か病気になっても打ち込めるものがあると、死期が迫っても、動揺が少ないのかもし れない。(患者さんの様子を見て)

少なくとも、私が見てきた、趣味の達人、長年それを続けた人たちは、最後までそれを生かして、良い終わりを迎えたと思う。

そこに後悔はなかった。

 

私は趣味が多い。

映画、音楽、ゲーム、読書、散歩、筋トレ、スポーツ、服

やってみたいことも多い。

海外旅行、ピアノ、美容・健康

ぼーっと、している暇はない。すべてを楽しもう!

〇行けるときに、若いうちから旅行する

 仕事が忙しい、子育てが終わってから、お金に余裕ができてから、では

 機会を失ってしまう。

 私は、まだ海外旅行の経験がない。

 考えてみると行ってみたい国がたくさんあった。

 今年から、計画して旅行してみよう。

思いや気持ちを伝える

第四章 人間編 にあった後悔

・会いたい人に会っておかなかったこと

筆者の言葉

どう考えても、会いたい人には今すぐ会いに行ったほうが良い。なぜなら、大げさかもしれないが、いつまでもこの世にいられるとは限らないからである。会いたいと思っているうちに、その人はもうこの世にいなくなってしまうかもしれないのである。

会いたい人に会えない、伝えたい想いを伝えられない最後は、辛すぎる。

“いつか”ではなく“今”なのだ。

★対策

〇会いたい人に会う

私の場合は、18歳から親元を離れて生きてきたので、数年親には会えないことがあった。働いて稼げるようになってから、田舎に帰れるようになってきた。それでも、一緒に居られる時間は多くない。年に一度帰郷して、親に会うようにしたい。

祖父が亡くなる直前に帰郷し、数日間は病院に通って面会することができた。その間、今日が最後のつもりで、今までの感謝の気持ちを伝え、祖父の幸せ祈ることができた。その後、祖父が亡くなっても、後悔の気持ちはなかった。もう会えないと考えると寂しく悲しい気持ちにはなったが“できることはした、伝えたいこと伝えた”と思えた。祖父は新たな人生の一歩を歩み始めたのだと、さわやかな気持ちにもなった。(私が仏教的な考えのため)

数年経っても自信をもって言える。あれでよかった。後悔はない。

〇日頃から感謝を伝える

2、3ヵ月に一度は親に電話をする。感謝の気持ちや、健康、幸せを祈っていることを伝える。親孝行もできている。これからも親の幸せを祈っていく。

兄弟の幸せを祈る。仲の良い関係をきずけるように声をかけていく。

ラインで、元気であることを伝えるだけでも、会えなかったことで後悔することは減ると感じる。

生と死について考える

第五章 宗教・哲学編

・生と死の問題を乗り越えられなかったこと

 人は死ぬ前までに、生と死の意味について自分なりの考えや意思をもっていないと、死を目前にしてから考えては、整理がつかず、悩み苦しんでしまうことがある。

・神仏の教えを知らなかったこと

 筆者

別に神がなくても大丈夫な人は大丈夫である。私もおかげさまで何々教の信者とならなくても、何とか死を迎えられそうだ。

しかし、宗教が用意している「来世」が多くの人の助けになっている部分は否めない。それが必要な人も、世の中にはたくさんいると思われる。

カール・ベッカー氏は、筆書で、世界で一番死を恐れているのが現代日本人なのではないかと示唆している。無論、戦前はそのようなことはなかった、けれども今は一番恐れているというのである。その理由として、来世に対する信仰が薄くなったことと不可分ではないだろうと指摘している。

★対策

〇自分なりの生と死についての哲学をもつ

筆者の言葉

死ぬことが単純に不幸なら、人の生涯は最後は不幸が来てそれで確定となってしまう。

もし、死の意味を見出し得なければ、死は大きな恐怖となって眼前に立ちふさがるだろう。

もっと生と死について知り、それに対して己の考えを確立できれば、間違いなく終末期となっても後悔や恐怖は少ないし、もちろん元気なうちからそれが心の柱としてあれば、たくましくこの世を生きていけるに違いないと思っている。

若いうちから、自分なりの生と死についての哲学をもつことは必要と感じる。なぜなら、正しい生死観をもつことは、日々の生活の質を向上させ、後悔のない、または少ない人生を歩むためのヒントとなると思っているからだ。私は仏法の哲学をベースとして生きている。このベースがあることで、どんなことがあっても、ぶれずに信念をもって生きることができている。生きる意味を感じている。そして、死を受け入れることもできる。

〇若いうち、健康なうちから宗教について調べる。考える。

日本人の生活は、今や、様々な宗教的行事と共にあるが、別に信仰をしているわけではなく、「その時が楽しければよい」「周りがやっているから自分もやっている」的なものだ。

日本人は「無宗教」な人が多い。筆者は、

「すると困るのは、彼らを受け止めてくれる「来世」がなくなってしまうことである」と述べている。

別に筆者は新興宗教を勧めているのではない。「宗教にもセカンド・オピニオンを設けてはどうか」そして、様々な視点で比べてみてはどうか、と述べている。私も同意見である。(本当に幸せになれたか、他者も幸せになれる再現性があるか、社会が良くなったか、など)

筆者の経験から、死期が迫ると宗教を信じてこなかったことを後悔して、急いで特定の宗教に帰依する人がいたようだ。来世を確信したいため、生と死の意味を掴むため、不安な気持ちや辛い気持ちから解放されたい、後悔の念を減らしたいなど、理由はそれぞれだ。医者も例外ではないらしい。死を前にすると、だれでも何かにすがりたくなるのだ。

若いうちから、健康なうちから、宗教について考えてみてはどうか、と私も考える。

すぐに宗教に入らず、その信仰をしている“人”をみることだ。強く生きているか、幸せになったか。なろうと努力しているか。世の中のために行動できているか。

体験して比べてもよいと思う。

海外の人が信仰しても普遍的に幸せになれているか、という視点も面白い。

筆者は「健康なうちから、もっと死生観のみならず、宗教について知り、学び、考えておくことが望ましいのではないか」と述べている。怪しい宗教も、確かにある。気を付けるべきだ。だからこそ、自分の目で見て、考え、学ぶのだ。

筆者の言葉

毛嫌いしないで宗教書に目を通してみると、思いがけない発見があったり、古今東西、人の悩みや疑問は一緒だなあと癒されたりする。なかなか侮れないものなのである。